小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

救いの確信をもつ者になる

「あなたがたは、
 召されたその召しにふさわしく 歩みなさい。」
                

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  エペソ 4:1

 

<救いの確信をもつ者になる>    ローマ 8:29~30

 小海キリスト教会は、毎年、10月の最後の週を宗教改革に関連する主題を選び、みことばを学ぶことを心掛けてきました。宗教改革者となったルターは救いの確信をもっていたからこそ、迫害にあっても負けることなく、真理に堅く立ち続けることができたのです。私たちも救いの確信を常にもつ者になり、サタンとの戦いに勝利し続けるキリスト者になるために謙遜にみことばに耳を傾け続ける者になりたいと思います。
 神は、救われる者と救われない者をあらかじめ定められておられるのです。これを聖書教理では、予定と言います。この教理には不公平な印象があるかも知れません。ある人は救いの内側に、ある人は救いの外側に分けられている。あまりにも一方的過ぎるのではないか。しかし、考えてみてください。例えば、ある人が犬を飼いたいと思ったとします。保健所に行き、殺される運命にある犬の一匹を選び、引き取り、育ててあげる行為は、賞賛に値する行為です。また、選ばれなかった犬たちも自分を選んでくれなかった人を恨みません。なぜなら、捨てられた犬たちには、自分を選んでもらう権利をもっていないからです。これは人と神との関係に当てはまります。なぜなら、私たちも創造主であられる神に対し、自分を救うようにと要求できる権利を一切もっていない者だからです。
すべての人間は生まれながらの罪の性質をもっているために罪を犯します。神には、罪を犯す人間を「救わなければならない」という義務は一切ありません。しかし、あわれみ深い神は、人が罪をもつために滅んでしまうのを惜しまれ、人が救われる道を備えられたのです。
 神が人を救う方法が罪のない神の御子の身代わりの死、つまり十字架の罪の贖いです。そして、神はある人々を救いにあらかじめ選んでくださったのです。私たちの救いの確かさは、私たち自身のうちにあるわけではありません。神が救う者をあらかじめ定められ、神の時に、聖霊の一方的な御業によって救われたのです。ですから、私たちは自分を救いに至らせてくださった聖霊(神の第三位格)に目を向け直し、聖霊により頼むことを選択し、サタンの誘惑を退け、聖霊が示してくださる善を行うことができる者に変えてくださいと祈り求める者になりたいと願います。