小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

キリスト・イエスのしもべ

「この恵みのゆえに、
 あなたがたは信仰によって 救われたのです。
 それはあなたがたから出たことではなく、
 神の賜物です。」
                

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  エペソ 2:8

 

<キリスト・イエスのしもべ>    ピリピ1:1

 パウロは、この喜びの書簡と呼ばれる手紙を獄中で記したのです。普通ならば捕らえられ、牢屋に入れられ、鎖に繋がれ、自由を奪われると不安になったり、自暴自棄に陥ったり、物事を否定的に受け止めるようになり、人間不信や神不信になってもおかしくない厳しい状況です。しかし、パウロは、状況に左右されない心の平安を与えられ、将来に対する希望と自分に与えられた使命をどこにあっても果たそうとする力をもっていました。
何がパウロを力づけ、内側から溢れ出す喜びで満したのでしょうか。それは、キリスト・イエスのしもべとなる以前の自分の状態を忘れることがなかったからです。<br>
パウロがキリスト・イエスのしもべになる以前、彼は罪の奴隷となり、罪を犯すことしかできないあわれむべき存在でした。しかし、彼は、復活されたキリストに出会い、キリスト者を迫害してきたことが罪であることが示され、その罪を赦され、異邦人宣教の創始者として召されます。
これはパウロだけのことではなく、私たちも同じです。救われる以前、すべての人は、まことの神以外のものを神とし、偶像とし、罪の奴隷となり、サタンの誘惑に敗け、罪を犯すことしかできない無力な者たちでした。しかし、キリストと出会い、キリストを信じることにより罪の奴隷からキリストの奴隷に変えられ、罪を犯さない自由を手に入れます。すべてのキリスト者には、その自由を用いて神に栄光を帰する生活が求められるのです。神に栄光を帰する生活とは、神のご命令に従い、自分を愛するように隣人を愛する生活を実践することです。
キリストは、私たちにその模範を示し、弟子たちの足をご自身の手で洗われたお方です。主人であられるお方(キリスト)がしもべとなって生きられたのですから、その主人に仕える者も同じようにしもべとなって仕える者になることが期待されます。パウロにとってキリスト・イエスのしもべとされた事は何にも勝る喜びでした。なぜなら、パウロは罪の奴隷状態から解放され、キリストのしもべとされ、神と人に謙遜にお仕えする者になるようにと召された喜びに満たされ続けていたからです。
それは私たちも同じです。私たちは自力で謙遜な者になることはできませんが主に祈り求め続け、神に仕える者、人に仕える者と変えていただき、後の日に主から「良い忠実なしもべだ」と言っていただける者となり「キリスト・イエスのしもべである」と自分を人々に紹介できる者に変えられたいと願います。