小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

神にならう者になる

「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、
 天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、
 またおいでになります。

              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 使徒1:11

 

<神にならう者になる>    エペソ4:31~5:2

  私たちは、悪意の渦巻く地獄のような状況から救い出され、今、赦しと和解と平和の世界へと移され、平安のうちに日々、主の御前に生きることが可能とされています。これは本当に主のあわれみです。しかし、油断していると私たちは、救われる以前の状態に戻ってしまう危険といつも隣合わせに生きていることを覚えたいと思います。なぜなら、サタンは常に私たちを誘惑してくるからです。みことばから救われる以前の自分の状態を再確認し、救われた後に目指すべきことについてみことばにきいてまいりましょう。
 私たちは自分で考えているよりも誘惑に弱い存在です。私たちの周りには、誘惑となるものが満ちています。目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢をサタンは用いて私たちを誘惑してくるのです。また、目に見える裁きがすべてではなく、目に見ることのできない裁きがあることを覚えなければならないのです。その裁きとは、罪を犯すと神との霊的な交わりが失われることです。罪を悔い改めることなくそのままにするならば、私たちの心は神から離れ、この世の事に関心が向けられるようになってしまうのです。ですから、私たちはいつも、自分の霊的な状態に関心をもち、言い表していない罪があるならば教えてくださいと主に祈り求めなければいけないのです。そして、救われた者が求めるべきことは互いに赦し合う者になることです。天の父なる神の愛を知った人は人に対して寛容な態度を示せるようになります。
 では、神にならう者になるとはどういう事なのでしょうか。この「ならう」という言葉には、「まねる」とか「なぞる」という意味があります。私たちの愛のお手本は、父なる神が私たちを赦してくださった事実です。イエス様の十字架の死に父なる神の人間に対する愛と赦しの見本が示されています。これほどはっきりとした愛の見本は他に見当たりません。
 私たちは、愛の冷え切ったこの世にあって神にならう者になることが期待されています。ですから、救われる以前の神に対する悪しき態度があればその態度を改め、悪しき習慣を捨て続け、聖霊様が喜ばれる善を追い求め、良い業に励みつつ、善意の目で人の良い面を探し、建設的な意見を述べ合い、積極的に目の前の課題に取り組み、召された者にふさわしい生活を実践し、神の御前に芳ばしい香りのささげものを常にお捧げする群れでありたいと願います。