小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

御国の民・神の家族

「信仰によって、人々が七日間エリコの周囲を回ると、
 その城壁は崩れ落ちました。 」  
              
                                                            f:id:koumi2016:20160627201619j:plain へブル 11:30

 

<御国の民・神の家族>      エペソ2:17~19

  キリストは、敵対するユダヤ人と異邦人の間の敵意を廃棄するために、神と人間の間に和解をもたらすために、地上に来てくださいました。では、私たちはどのように父なる神のみもとに近づける者となり、御国の民・神の家族とされたのでしょうか。18節の「近づく」という言葉は、実際に手引きをして紹介するという意味を含んだ言葉が使われています。近づくは、ギリシャ語でプロサゴーゲンといい、この言葉の類語のプロサゴーギュースは、東洋の宮廷などで、来賓を国王のもとに案内し、紹介する接見役の呼び名となったことばです。つまり、キリストは私たちが神に近づく道を開くために十字架に架かり罪を贖ってくださったうえに、私たちを実際に神の御前に連れて行ってくださり、王であられる神に紹介してくださるのです。
 では、御霊の役割について考えてみましょう。御霊は、私たちの罪を示し、父なる神様との交わりに与ることができるようにしてくださるお方です。ヨハネ16:8~14参照。次にキリスト者と神の関係について考えてみましょう。18節に「父のみもとに」とありますがパウロは、神のみもとにではなく、父のみもとにと言うことにより、私たちが神と親子関係に移されたことを認識させようとしていることが分かります。
 新約時代に生かされている私たちは放蕩息子に登場する寛容な父親のイメージを神と重ね合わせ、弟息子のように父なる神のもとに立ち返り続けることができるのです。19節の他国人とは外国からの訪問者であり、入国の際にパスポートとビザが必要な人のことです。他国人は、仕事をするにも、生活するにも、いろいろと制限があり不便なことも沢山あります。寄留者は、旅行者よりは長期に渡ってその国に滞在することが許された人々です。この他国人と寄留者に共通する点は、外国人であり、その土地の人々のお情けで認められた場所に期限つきで住まわせてもらっている人として、自国の民からよそ者として扱われる存在です。しかし、新約時代に生かされている私たちは、神の前に同じ主に罪を贖われた者同士、神の民として、御国の民として堂々と生きることが許されています。ですから、後から救われた者も肩身の狭い思いを抱く必要はありません。御霊によって一つ家族とされた者として、家族の一員としての役割を担い、神の家族の交わりに積極的に参加し、主にある兄弟姉妹の交わりを深めてまいりましょう。