小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

キリスト・イエスにある者

「あなた方は私に悪を謀(はか)りましたが、
 神はそれを、良いことのための計(はか)らい
 としてくださいました。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 創世記50:20

 

<キリスト・イエスにある者>     エペソ1:1

 エペソの教会は、パウロが第三回目の伝道旅行をした際に建て上げられた教会です。パウロたちがエペソで宣教した時、パウロたちの宣教を妨害したのは、アルテミス神殿の存在により収益を得ていた人々でした。
使徒19:23~29参照。 エペソの教会の兄弟姉妹は、そのような異教の世界でキリスト者として生きるには闘いの多い環境で生活していたことがわかります。パウロは彼らに誘惑の多い環境でキリスト者として、キリストを信じて生活することの大切さを教えようとしたのです。それは私たちにも当てはまります。
手紙の挨拶文から3つのことを学びましょう。
一つ目は、パウロがエペソの兄弟姉妹を聖徒と呼びかけている点です。
二つ目は、パウロが忠実なエペソの聖徒たちと言っている点です。
三つ目は、パウロがキリスト・イエスにあると言っている点です。
この~にあるという用語は、パウロの独特な言い方で、~と一体であるという意味があります。ですから、キリスト・イエスにあるとは、キリスト・イエスと一体であるという意味になります。私たちは、イエス様を信じた時、イエスにある者、イエス様と一体となったことを覚えましょう。
 私たちは、イエス様を信じる前、アダムにある者たちでした。アダムにあるとは、アダムと一体であるという意味です。アダムと一体であるということは、アダムから受け継いだ罪の性質と肉体の死と霊的に死んだ状態であったことを意味しています。その先にあるものは肉体の死と霊の死、すなわち滅びです。しかし、イエス様を信じたことにより、私たちはアダムにあるものから、キリストにある者に移され、キリストとひとつにされ、キリストの義といのちに与る者となり、霊的にも新しくされ、天の父なる神様との霊的な交わりも回復されました。
 パウロは、この挨拶の言葉をとおしてこれらのことをエペソの兄弟姉妹に改めて思い出させ、彼らがどのような者であるかを自覚させようとしたのです。これは私たちにとっても大切な点です。
 私たちは何のために救われたのでしょうか。どのように生きることが期待されているのでしょうか。その事をいつも自覚し続ける必要があります。そして、何より私たちは主に贖われ、主のものとなった者たちです。ですから、私たちは、何をするにも祈りつつ、天の父なる神様のご意志を求め、イエス様ならばどうされるだろうかと考えてみることが必要です。イエス様が地上でどう生きられたのか。パウロたちがイエス様にならって生活したように、私たちも彼らの生き方にならい、聖い生活を実行できるように努め励む者になりたいと願います。
Ⅰコリント10:23参照