小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

キリスト者の希望

「わたしは世の終わりまで、
 いつもあなたがたとともにいます。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain マタイ28:20

 

キリスト者の希望>     使途25:1~27

 パウロは総督ペリクスの職務怠慢故に2年間、監禁生活を強いられます。パウロはその間、祈りつつ備えていたのです。そして、ついにパウロにチャンスが訪れました。それは総督の交代です。しかし、パウロにとってのチャンスは、パウロのいのちを狙うユダヤ人にとってもチャンスです。パウロよりも先にパウロのいのちを狙う人々が動き始めます。l~3参。パウロのいのちを狙うユダヤ人にとってパウロの存在は、監禁されているとはいえ脅威以外の何ものでもありません。なぜなら、パウロが再び、自由にされるならばユダヤ教にとって自分たちの立場が脅かされる状況になることは明らかだからです。ところが彼らの思い通りには事が進みません。新しい総督のフェストは、賢い人でありユダヤ人の口車に乗ることはなく、ユダヤ人のパウロ暗殺計画は無駄に終ります。4~5参。しかし、ユダヤ人たちはあきらめません。フェストの提案を受け入れ、彼らはカイザリヤまで約100キロの道のりを移動し、パウロを訴えます。6~7参。
パウロは 冷静に弁明し、自分の無実を主張します。8節参。フェストは、パウロの無実を知りながら、ユダヤ人の歓心を買うためにパウロエルサレムでの裁判を願うかと尋ねます。すると、フェストの思惑とは違う返答がパウロの口から発せられたのです。10~11参。フェストは、パウロの返答に戸惑いながらもパウロの上訴を退けることはできません。なぜなら、ローマ市民には裁判の判決に不服があった場合、カイザルに上訴できる権利が与えられていたからです。こうして、パウロは長年の願いであったローマ行きを囚人という立場でしたが獲得することができる道が開かれたのです。
 パウロはこれまで何度も先の見えない状況の中に置かれることがありました。無実の罪で鞭打たれ、投獄され、石打ちの刑を経験したこともあります。その他にも盗賊の難、海上の難など試練や迫害の中を歩んできました。パウロが希望を失うことがなかったのは、彼がいつも復活信仰に生きていたからです。パウロの死生観は、死んで終わりではなく、かの日に自分も必ずよみがえらされれるというものです。Iコリント15:1~22参。
 私たちの希望もパウロと同じです。ですから、私たちもどんなに今生かされている時代が先の見えない混沌として状況であっても希望を失う必要はありません。これまで通り、いつものように主日礼拝を中心にした生活を淡々と送り、日々、みことばに従って与えられた持場、立場で自分の役割を忠実に果たし、主が出会うことを赦してくださった人々に福音を宣べ伝えてまいりましょう。
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