小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

復活信仰に生きる

「わたしについて来なさい。
 人間をとる漁師にしてあげよう。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain マルコ1:17

 

<復活信仰に生きる>       使途20:4~12

 私たちは、この事故から何を学ぶことができるのでしょうか。三つのことを考えさせられます。一つ目は、いつ私たちほ地上での生涯を終えることになるか誰にも分からないという現実です。二つ目は、だからこそ、その日その日を大切に生きる責任があるという事実です。三つ目は、復活の希望をもってキリスト者として輝いて生きることができるという幸いについてです。
 一つ目、私たちのいのちは神の御手の中にあり、神の時に召されるのです。誰も神の時を変えることはできません。どんなに医学が進歩しても、人間がこの地上を去る時を遅らせることができるだけなのです。ですから、いつ、その時が来ても慌てることがないように日々備えましょう。
 二つ目、私たちが造られた一番の目的は、創造者を礼拝することです。初代教会の兄弟姉妹は安息日だけでなく、集まって礼拝を捧げていました。現代は、それぞれに仕事をしなければ生活できない事情があるために週に一度しか共に集まり礼拝を捧げることはできません。ですから、週に一度の礼拝を大切にしたいのです。
 三つ目、ユテコの死を通し神様のご計画は何なのかとその場にいた誰もがこの事故は何を意味しているのかと当惑したはずです。しかし、彼らの悲しみは、すぐに喜びに変えられたのです。パウロがユテコの上に身を伏せると死んでいたはずのユテコが生き返ったからです。この出来事に関係者はひとかたならず慰められます。しかし、人間は永遠に生き続けることのできない有限な存在です。誰もが自分の死と向き合う時がくるのです。パウロたちはいのちの危険と隣合わせの生活をしていましたが、死を恐れることなく、いつも大胆に福音を宣教することができたのです。それはどうしてなのでしょうか。激しい迫害の中を彼らが勇気を失うことなく、大胆に神だけを信じて前進できたのはなぜなのでしょうか。それは、彼らが復活信仰に生きていたためです。死を打ち破られよみがえられたキリストと出会い、キリストから聖霊をいただいた彼らは、聖霊の力に満たされ、死を恐れない者に変えられたのです。
それは彼らだけに限られた特別なことなのでしょうか。いいえ、私たちも彼らと同じように復活信仰に生きることができます。すでに私たちは、キリストの復活を信じる者に変えられています。死を恐れる者から死を恐れない者にすでに変えられているのです。
なぜなら、死は「終わり」ではなく、永遠の世界における主との交わりの 「はじまり」を意味していることを知らされているからです。Iコリント15:50~58参照。