小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

すばらしい喜びの知らせ

「主は富んでおられたのに、あなたがたのために
 貧しくなられました。それは、あなたがたが、
  キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain Ⅱコリント8:1:21

 

<すばらしい喜びの知らせ>       ルカ2:8~12

 さて、クリスマスと言えば今では日本中どこでも華やかに飾られ、各家庭の年中行事のひとつとして位置づけられているほどメジャーなものとなりました。クリスマスがキリストの誕生日であることを知る人々も増えてきております。しかし、キリストが自分の罪のために十字架に架かり身代わりになって罪の罰を受けてくださるために誕生されたお方であることを正しく理解している人々は多くはありません。どうして、神の御子が十字架に架からなければならなかったのか。共に考えてまいりましょう。
 一番はじめに確認したいことは、人間が犯す罪のためにその罪を赦されるためには罪のないお方の血が流される必要があったという点です。他に罪が許される方法があれば神様がそれを選ばれたはずです。私たちは、それをまず心に留める必要があるのです。次に、罪について確認しましょう。聖書が教える罪とは、神様の命令に従いたくないという思いの事です。これは人間にもともとあるもので自我と言い換えたら分かりやすいでしょう。私たちは、禁止されていることを守ることができません。それは罪がある証拠です。そして、罪を犯すと罪責感に苦しむことになり罪の罰として与えられた死に対する恐れもあるために平安がありません。人間が真の平安を得るためには、神様との交わりが回復される必要があります。キリストが地上に来られた目的がここにあるのです。
 キリストは、神様と人間との交わりを断絶させた罪を処理されるために十字架に架かり、罪の罰を受け、人間の罪が許され、神様との交わりが回復される道をつくってくださったのです。これが福音です。私たちは、自分の罪のために十字架にかかり死んでくださったキリストを神の御子であると信じるだけで、罪を悔い改めるだけで、罪を赦していただけるのです。そんな事で罪が許されるのかと思われる方もおられるでしょう。しかし、自分が罪人であることを本当の意味で自覚することは口で言うほど簡単なことではありません。聖書を読んで罪が何であるかが分かるようになるのは神様の働きによるものです。さらに、自分が罪を犯さないでは生きられない罪人であることが分かった時、はじめて救いを求める飢え渇きがその人のうちに与えられるのです。神様は、このすばらしい喜びの知らせを携えた御使いを羊飼いのもとに送られました。ここに、弱い者、虐げられた者、小さき者に対する神様のあわれみが現わされています。羊飼いは、御使いの言葉を聞き、喜び勇んでキリストのもとに駆けつけます。私たちも、彼らのようにこの素晴らしい喜びの知らせを受け取る者になりましょう。