小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

主の御手に頼りつつ

「キリストは罪を犯したことがなく、
 その口に何の偽りも見いだされませんでした。」
                

                   f:id:koumi2016:20160627201619j:plain Ⅰペテロ2章22節 

 

<主の御手に頼りつつ>              使途acts 11:19~21

ステパノの殉教をきっかけにキリスト者に対する迫害が強まり、エルサレムを離れた弟子たちは、逃亡した先々で伝道し続けます。初代教会の人々は、逞しく何度妨害されても宣教することを止めるどころか増々、イエス様の死と復活の意味を証していったのです。試練は、自分から求めるべきものではありませんが、神様は私たちにとって試練が必要であることを知っておられ、ある期間、私たちが試練の中に留まることを良しとされるお方であることも覚えたいと思います。初代教会の人々も、信仰の戦いを経験していたことが26節から伺い知ることができるのです。26節参照。
アンテオケにおいて弟子たちは初めてキリスト者と呼ばれるようになります。キリスト者という呼び名は、ニックネームのようなものです。「キリスト者」とは、原語で「クリスティアノス」と言い、キリストの奴隷という意味があります。 初代教会の人々は、偶像崇拝に関係する行事に誘われる度に自分はキリストを信じたから、それらの行事に参加できないと断っていたのです。ですから、人々は彼らがいつも「キリスト」、「キリスト」と言って誘いを断ることからキリストの奴隷と同じだと彼らをクリスティアノス (キリストの奴隷)すなわちキリスト者と呼ぶようになったのです。また、初代教会の人々は、感謝と喜びに満ちて、宣教の業に励んだことでしょう。救いの喜びに満たされると人は驚くほど大きな力を発揮するものです。私たちの一番の喜びは、罪が赦され、罪の力から解放され、真の自由をいただいたことです。聖書は、私たちがイエス様を信じた時、新しく造りかえられたと断言しています。Ⅱコリント5:17参照。このみことばからイエス様を信じた時、私たちはイエス様と一緒に十字架に架かり、私たちの自我も共に死んだことが分かります。そして、イエス様が復活された時、私たちもイエス様と一緒に復活し、イエス様に従って生きる者と変えられた者たちなのです。自覚していなくても、みことばがイエス様を信じる者は新しくされた者であると断言しています。ですから、救われる以前の肉の思いに従って生きることをやめ、御霊に従って生きることを、選択していく者になりたいと願います。
私たちが、心から御霊に信頼する者となり、御霊の命じることを実行する時、そこに御業が実現していくのです。私たちの愛する家族が救いに導かれ、共に同じ神様を礼拝する者と変えられていくのを見させていただこうではありませんか。人間を救うのは、私たちの力ではありません。主の御手が私たちの上にある時にそこに御業が実現されていくのです。神様は、私たちを用いてくださるお方です。私たちが心から神様を信頼し、神様の約束を信じてみことばに従って生きる時、そこに神様が奇跡を現してくださいます。異邦人がまことの神様に立ち返って救われたように、家族がまことの神様に立ち返る日が来ることを期待して主の御手に頼りつつ宣教の業に参加して行こうではありませんか。