小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

神に喜ばれる生き方

「すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、
  心に植えつけられたみことばを、
  すなおに受け入れなさい。」
                    f:id:koumi2016:20160627201619j:plain ヤコブ 1章21節

 

<神に喜ばれる生き方>            使徒10:1~8

今日の箇所に登場するコルネリオは、神に喜ばれる生き方を実践していた人です。10:2参照。本当に敬虔な人は、神様を畏れる人です。神様を畏れるとは、不正をしないという事です。すべての事を見ておられる神様を畏れている人は、不正ができません。なぜなら、必ず自分がしたことの報いを受けることになることを知っているからです。コルネリオも、まことの神様を畏れ、神様の御前に罪を悔い改めて生きてきた人だったのでしょう。そうでなければ、彼の祈りが神様に覚えられるはずはありません。そして、コルネリオは、神様から罪を赦された者にみられる特徴が現れた人でもありました。その特徴とは、あわれむ心が与えられるというものです。

私たちは、神様のあわれみを受けています。神様が私たちをあわれんでくださらなければすでに滅ぼし尽くされているはずです。ノアの時代の人々が洪水によって滅ぼされたように、神様の命令に背いたイスラエルの民が荒野で滅ぼされたように、ソドムの人々が滅ぼされたように。ですから、コルネリオは神様から憐れまれていることを自覚し、同じように人をあわれむ者に変えられていたのです。そして、助けを必要としている人々に施しを実行していました。しかも、彼はユダヤ人に対しその施しを実践していたのです。支配する側にいたコルネリオが支配している相手であるユダヤ人を助けることは容易なことではありません。なぜなら、彼の仕えていた皇帝の目があるからです。しかし、コルネリオは、ユダヤ人が信じているところの同じ神様を信じる者となり、同じ主にある兄弟姉妹に必要なものを与えたいという思いが生じてきた為に為政者を恐れずに善行を実践したのです。そして、最後にコルネリオがいつも祈っていた点について考えてまいりましょう。
祈りは、神様が喜ばれる最大のものです。神様は、人間と親しい交わりをもちたいと望まれ、人間を創造されたお方です。しかし、人間は自分の意志で神様の命令に背くことを選択し、その結果、人間は罪人となり、神様との交わりを失うことになりました。神様と人間の交わりを邪魔するものが罪なのです。神様は、その罪の問題を解決するためにイエス様が十字架に架かることを良しとされたと言ってもよいでしょう。イエス様が私たちの罪のために身代わりとなって十字架にかかり罪の罰を受けてくださることにより罪の問題が処理され、神様と人間の霊的な交わりが回復される道が備えられたのです。
コルネリオは、自分の犯した罪を悔い改め、天の父なる神様の喜ばれることを実践し、祈る人に変えられていました。コルネリオは、神様が自分にしてくださったことを感謝して、神様を畏れつつ、神様が命じられることを喜んで実行していたのです。マタイ22:37~38参照。
私たちも、神様の喜ばれる生き方を実践できるように祈りつつ、みことばに従って生きる努力を続けてまいりましょう。神様は、本気でご自身に従う者を喜び祝福してくださいます。