小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

神の愛

「彼は光ではなかった。ただ光について
 あかしするために来たのである。」

                

                  f:id:koumi2016:20160627201619j:plainヨハネ1章8節

 

 <神の愛>      創世記22章1~13

アブラハムは、人生最大の試練を経験することになります。その試練とは、自分の愛するイサクを全焼のいけにえとして捧げよとの神様からの命令です。神様のアブラハムに対する命令は、一見神様のアブラハムに対する約束と矛盾するように思われます。なぜなら、神様はアブラハムの子孫からイサクの子孫から救い主が誕生すると約束しておられたからです。そのイサクを全焼のいけにえとして捧げてしまったらその神様の約束が果たされなくなります。その疑問の答えは、へブル11:17~19を参照。
とにかく、アブラハムは神様の命令に対し、どのように応答するか試されることになります。アブラハムは、神様の命令に従ってイサクを連れて神様が指定された場所に向かって出発します。そして、アブラハムは神様の命令に従って祭壇を築き、イサクを縛り、刀を振り上げます。このアブラハムの受けた試練を黙想する中でヨハネ福音書3:16のみことばが頭に浮かんできました。そして、アブラハムの姿と天の父なる神様の姿が重なったのです。天の父なる神様は、愛するひとり子であられるイエス様が多くの試練を経験することになることが分かっていました。そのイエス様を地上に遣わす時、どのような心境だったのか。自分の愛する子が人々から苦しめられるのを知ったうえでわざわざ危険な場所に送ろうとする親はいません。しかし、天の父なる神様は、それを実行されたのです。
神様は、一番大切なものを犠牲にしてでも人間を滅びから救い出したいと本気で考えられたお方です。人間を滅びから救う方法は、罪のない完全ないけにえの血が流されることでした。イエス様の血が流されることによらなければ人間の犯す罪を赦すことができない。それほど人間の罪は重いのです。創造主の存在を無視し自分勝手に生きている人間の罪を赦すために天の父なる神様がどれほど苦しまれたか覚えたいと思います。
神様の愛は、イエス様の十字架の死を通して実証されました。神様は、目で見ることのできるものしか信じようとしない心の鈍い私たちのために見て分かる形でイエス様の十字架の死を通して、天の父なる神様の愛を明らかにしてくださったのです。そして、イエス様も天の父なる神様のご計画に従い、十字架の道を歩まれ、人間に対する愛を証明してくださったのです。イサクが従順に縛られたようにイエス様も捕えられ、十字架に架けられました。アブラハムとイサクが強い信頼関係で結ばれていたように天の父なる神様とイエス様も強い信頼関係で結ばれていたのです。私たちも、天の父なる神様との信頼関係を強める努力をするものでありたいと願います。信頼関係は、神様の命令に従うことによって作られます。祈りつつ、神様の命令に従う時、神様が必要な力と愛と勇気を与えてくださるのです。失敗を恐れずに、みことばに従い。神様の祝福をいただく者になりましょう。私たちがみことばに従う時、そこに神の愛が現わされていくのです。