小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

御名を信じる信仰

「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った」

                        f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 使徒19章20節

 

<御名を信じる信仰>  使徒3:11~16

 生まれつき足のなえた者が立ち上がり、歩き出し、飛んだり、跳ねたりしながら、神を讃美する姿を見た人々の関心は、ペテロとヨハネに向けられていました。しかし、彼の足を強くしたのは、ペテロたちではありません。イエス様の御名を信じる信仰です。「ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」6節の命令に従うことにより、生まれつき足のなえた者は、イエス様の御名を信じる信仰によって立ち上がることができたのです。生まれつき足のなえた者が歩けるようになる。それは確かに驚くべき奇跡の業です。しかし、イスラエルの民がこれまで体験してきたことを思い出すならば今更、驚くようなことではなかったはずです。イスラエルの民は、何もない荒野において40年間、天からのマナと鶉で養われた体験があります。何度も、敵の手から奇跡的に命を救われた民だったはずです。しかし、彼らはその救い主であられる神様をすっかり忘れてしまっていたのです。そして、彼らの神様に対する態度は形式的なものとなり、心が神様から離れ、自分勝手な礼拝を捧げる民と成り下がっていました。その証拠に彼らは神様が遣わされたイエス様を拒み、十字架に架けて殺すことを選択します。同じように、心が神様から離れる時、私たちの信仰も死んだものとなり、礼拝も形式的なものとなるのです。また、どんなに口で「御名が崇められるように」と祈っても、実際の生活の中で御名を崇める生活をしていないならば偽りを口にしていることになります。これは実に恐ろしいことです。目に見えない神様を侮る生き方をしていることはないでしょうか。この世と調子を合わせ、神様を優先しなければいけない状況の時に他のものを優先していることはないでしょうか。私たちの周りで起こる問題に心を奪われるのではなく、自分の心が神様だけに向けられているか点検する必要があるのです。忙しいことは理由になりません。ひとり静まり、神様の御前に祈り、聖書のみことばに耳を傾ける時間を作り、自分の心の姿勢を確認する者になりましょう。イエス様に信仰によって繋がる時、私たちは変えられます。私たちは、罪をもつ者として生まれ、罪を犯し続けてきた者です。創造主の存在を無視し、自分勝手に欲望のままに滅びに向かって歩んでいた者たちです。しかし、今、神様のあわれみのゆえに、まことの神様に立ち返ることができ、神様を礼拝する者と変えられています。これは実に驚くべき奇跡であり、御名を信じる信仰によるものです。イエス様を神の御子であると信じ、イエス様の十字架を仰ぐことにより、私たちは「死んだ者から生きる者」と変えられました。ちょうどモーセが、荒野で挙げた青銅のへびを仰ぎ見た者だけが生かされたのと同じです。そして、イエス様の十字架を仰ぐ行為は日曜日だけなされればいいというものではありません。毎日、私たちはまことの神様に立ち返ることが必要なのです。「御名が崇められるように」と祈ったならば、祈ったように生きる決断をいたしましょう。