小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

罪を犯さないため

「わたしはあなたのために、
 あなたの信仰がなくならないように祈りました。

              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 ルカ 22:32  

 

<罪を犯さないため>    エペソ4:26~27

  神は、人間に喜怒哀楽の感情を与えてくださいました。この感情は私たちの人生にとってなくてはならない大切なものです。もし喜怒哀楽の感情がなかったとしたら私たちの日々の生活は無味乾燥な営みになってしまうからです。しかし、感情に振り回された浮き沈みの激しい営みもいろいろな問題へと発展することもあるので自分の感情に対する取扱い方を考えてみる必要があるのです。
 では、パウロは、どのように怒りの感情を取り扱うようにと勧めているのでしょうか。パウロは、怒りの感情自体を否定していません。逆に怒るべき時に怒らないことの方が不自然であることをパウロ自身が身をもって模範を示しています。ガラテヤ2:11~21参照。パウロは、福音の真理が曲げられることに対し黙って見過ごすことができなかったのです。しかし、どんなに正しい怒りであってもその怒りの状態を持続させることを慎む事が必要です。なぜなら、それは怒りの感情がエスカレートすると怒りが憎しみに代わり、殺意へと発展していくからです。ですから、怒りの感情が自分のうちに湧き上がってきた時、人の言葉や態度が赦せないと思うような時、私たちが思い出すべきことは神様と自分の関係です。マタイ18:21~35参照。
 私たちは、自分が本当に罪を赦された者であるという自覚を持っているのでしょうか。いいえ、自覚がないから人に対して寛容な態度を示すことができないというのが事実です。もし神に対する感謝の思いがあれば、自分に対して罪を犯した者に対し、神が自分の罪を赦してくださったのだから、私もこの人の罪を赦そうと考えるはずなのです。私たちの態度が私たちの心の状態を明らかにします。ですから、自分の心の中になかなか許せない思いがあることに気づいた時、神のもとに行き、まず自分の罪を赦していただいたことを感謝しましょう。
私たちは自分で考えているよりも高慢な者であり、素直に自分の過ちを認めよとしない者たちです。高慢な心は神との交わりを不可能にします。ですから、神から自分の心のうちにある高慢な心が示された時、素直に神のもとに行き、その罪を赦してくださいと祈り求める必要があるのです。私たちが自分の犯した罪の赦しを請い求めなくなる時、サタンはそのチャンスを逃しません。サタンに自分を誘惑させる機会を与えないために、常に主の御前にひざまずき、罪の赦しを求め続ける者でありたいと願います。

 

神の祝福を受け続けるために

「弟子たちの目の前でその御姿が変わった。
 顔は 太陽のように輝き、
 衣は光のように白くなった。

              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 マタイ 17:2

 

<神の祝福を受け続けるために>    エペソ4:25

 教会が神の祝福を受け続けるために一番大切なことは何でしょうか。
それは一致を保ち続けることです。一人一人の力がたとえ小さくても、一致して祈り、一致をもって行動するなら大きな力となり福音宣教も前進します。では、一致を破壊するものは何でしょうか。それが偽りです。サタンは偽りを教会内に蔓延させようとその機会を伺っています。サタンの方法は、アダムたちを誘惑した時から変わっていません。アダムたちは、サタンの偽りの言葉に惑わされ、神のご命令に背くことを選択します。アダムたちが罪を犯すことにより、神と人間の間にあった信頼関係は破壊されたのです。
罪人である私たちは自力でみことばに従って生きることはできませんが私たちのうちに住んでおられる聖霊が私たちに力を与えてくださり、みことばに従って生きることができるように助けてくださいます。ですから、私たちはパウロの勧めに従い、偽りを捨て、真実を語ることができるのです。そして、パウロは真理を語る理由を教えています。「私たちは互いにからだの一部なのです。」教会は、キリストの体に譬えられます。体にはいろいろな器官がありますがその各器官は互いに真実を伝えることで調和しています。同じように、教会もキリストを頭としてキリストの指示のもとに各器官である私たちは、互いに真実を語り合うことで信頼関係が保たれ、一致して宣教の業に取り込むことができるのです。ですから、そこに偽りが入ると信頼関係が破壊され、不一致が生じ、協力して宣教の働きができません。それをサタンは知っているのです。教会が本当の意味で祝福されるためには教会が神の御前に誠実に忠実に真実に罪を悔い改めて歩んでいるか否かによって決まることを覚えたいと思います。
私たちはみな互いに弱さを持つ生身の人間です。サタンの誘惑に負け、偽りの罪を犯すこともあります。ですから、互いに執り成し合い、親身になって忠告してくれる兄弟姉妹の言葉を感謝し受け入れる者に造り変えてくださいと神に祈り求める者になりたいと願います。詩篇51:1~13参照。
素直な心は、みことばによって罪が示された時、その罪を悔い改め続けることにより造られます。そして、神は、罪を悔い改めた者同士の群れである教会を祝福してくださり、教会の一致を保ち、宣教の業を推し進める力を与えてくださいます。それが神の祝福を受け続けるために私たちが大切にすべきことです。

 

心と霊において新しくされ続ける

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、 
 自分を捨て、自分の十字架を負って、
 わたしに従って来なさい。

              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 マタイ 16:24

 

<心と霊において新しくされ続ける>    エペソ4:17~24

 この世界を創造されたお方が存在されることは、造り主の造られた被造物がある以上、誰の目にも明らかです。しかし、救われる以前、私たちは創造主に対し、崇めることも、感謝することもなく生きていました。
造られた者が造り主の意図に反して生きているならば、その造られた者としての目的を果たすことができずに空しさを覚えるのは当然です。しかし、キリスト者はイエス様と出会い、イエス様を主と告白し、罪を悔い改め、常に意識してイエス様ならばどうされるだろうかとイエス様に尋ねながら自分の言葉や態度を顧みる者になります。
 救われてキリスト者とされた人々にパウロは二つのことを勧めます。
一つ目は、人を欺くことをやめることです。
二つ目は、霊と心において新しくされ続けることです。
では私たちが新しくされたというのは、どういう点においてなのでしょうか。それが真理に基づく「義」と「聖」です。この義とは、キリスト者の人に対する正しい態度のことです。もう一つの聖とは、キリスト者の神に対する正しい態度のことです。人間はもともと人に対しても、神に対しても正しい態度で応答できる存在として造られました。しかし、人間が神様の命令に背くことを選択した結果、罪をもつ者となり人間に対しても、神に対しても正しい態度を示すことができなくなったのです。しかし、イエス様を信じることで失われていた義と聖を回復され、人と神に対しても正しい態度を選択できる者に変えられます。また、真理に基づく「聖」とは、宗教性と言い換えることができます。私たちは創造主に造られた被造物であり、造り主を礼拝するために存在している特別な被造物です。
救われる以前、私たちは、偽物の神々を拝み、仕え、奴隷となっていましたが救いに与ることにより、まことの神様を礼拝できるようになりました。私たちのうちに住んでおられる聖霊様は私たちが本気で望むならば、私たちがみことばに従って救われる以前の古い生活を捨てさせ、主の喜ばれる新しい生活を選択することができる者と変えてくださいます。そして、聖霊様が私たちをイエス様に似た者と造り変えてくださるのです。
自分の力ではなく、常に聖霊様の助けをいただいて共に励まし合い、心と霊において新しくされ続けることを祈り求めてまいりましょう。