小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

福音に仕える者

「忠実な人は多くの祝福を得る。」
              

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<福音に仕える者>      エペソ3:7

 パウロは、神様から異邦人宣教のために特別に選ばれた器でした。彼は、自分が受けた恵みの大きさを自覚し、自分にゆだねられた任務が栄光に富んだものであることを自覚していました。パウロがどのようにして何の力によって福音に仕える者とかえられたのか共に確認してまいりましょう。 
パウロキリスト者を迫害する者、すなわち神様に逆らう者でした。彼は、キリストに従う者を捕らえ、牢獄に入れ、キリスト者を撲滅することに生きがいを覚えていた人でした。そんな彼を神様は、異邦人宣教に用いようとなさったのです。
パウロは、イエス様に出会うまで霊の目が開かれるまでこの世のものに心が支配され、この世の価値観で生きている人でした。 しかし、パウロは変えられたのです。地位や名誉や財産もいつか必ず過ぎ去るものである。人々の記憶からもやがてそれらのものが消え去る日が来ることを彼は悟ります。そして、パウロは、新しい価値観を与えられ、朽ちないもの永遠に残る者を追い求める者と変えられたのです。
それが福音です。信仰と希望と愛です。永遠のいのちであられるキリストです。それは、パウロだけに与えられた変化なのでしょうか。いいえ、私たちもパウロと同じようにキリストに出会い、キリストを信じた時、心にお迎えした時、これまでの価値観を変えられた者たちです。
キリスト者を迫害していたパウロをキリストの死と復活を宣べ伝える者に変えた神の力が私たちも造り変えたのです。その力とは、キリストをよみがえらせた神の力です。私たちは、その神の力を日々体験しているでしょうか。もう一度救われた時の原点に立ち返り、自分が福音に仕える者、福音を宣べ伝える者として選ばれ、新しく造り変えられた者の一人であることを覚えたいと思います。マタイ28参照。この命令は、弟子たちだけに限定されたものではなく、すべてのキリスト者に与えられている命令です。あらゆる国の人々を弟子とせよとの命令は、最優先事項です。私たちは、その為に今、この時代にこの場所に生かされているのです。私たちの周りには、私たちから福音を聞くべき人々が備えられています。誰が福音を受け入れるか私たちにはわかりません。しかし、神様が自分にしてくださった救いの御業を証することが、期待されています。人々の永遠のいのちに関わる重要な任務をゆだねられて者としての自覚をもち、人を恐れずに神様を畏れ、先に救われた目的を果たす者になろうではありませんか。

 

神があなたに望んでいること

「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神。」  
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 <神があなたに望んでいること>          Ⅰテサロニケ5:16-18

 いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことにおいて感謝することができたら、どんなに素晴らしいでしょうか。これは、主なる神様からの命令です。しかも、神があなたがた、そしてあなたに望んでいることです。
1.いつも喜んでいなさい 
どうすれば喜べるでしょうか。嬉しいことがあったら、その時に喜びなさいと言っているのではありません。「いつも」と言っています。「いつも」なことがあります。それは神様が私たちを「いつも」愛しているという事実です。これはいつもです。必ず。変わりません。しかもいのち掛けの愛でです。神様にいつも愛されていることを喜ぶのです。目の前で起きている出来事ではなく、神様の愛に目を向けて喜ぶ。ポイントは神様の愛に目を向けるということ。神様の愛が書かれているみことば、聖書のことばに目を向けるということです。
2.絶えず祈りなさい
「絶えず」祈りなさいとはどのような意味で言われているのでしょうか。 二つの意味があるでしょう。一つは、絶えず神様は私たちと交わりを持ちたいと思っておられるということです。
もう一つは、イエス様のように祈るという意味。イエス様はみことばを実践しておられました。だから、イエス様のように祈ることが絶えず祈ること。
3.すべてのことにおいて感謝しなさい 
ただ、感謝しなさいではなく、「すべてのことにおいて感謝しなさい」と。どんな出来事でも神様の許しなしには起こらないことを認め、すべてのことが神様から出ていることを信じることです。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ8:28。今感謝できないことも、神様は感謝出来るように私を変えてくださる。「神様。今は嬉しくありませんが、必ず感謝できるように変えてくださることを信じます。感謝します。」そう祈り始めることが大切でしょう。


喜び、祈り、感謝する生き方、神様の祝福の道を一緒に歩みましょう。ひとりで戦っているのではありません。大切な仲間がいます。神の家族がいます。

キリストの奥義

 

<キリストの奥義>          エペソ3:1~6

 パウロは、三章の冒頭で自分を異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となったものであると紹介しています。異邦人のためにとは、どういう意味でしょうか。それは、パウロユダヤ人からいのちを狙われ続けてきた理由を思い出していただければ分かることです。それは、彼が異邦人も信仰のみで救われると教えていたからです。ユダヤ人が長い間いのちがけで守り続けてきた律法を救いの条件からパウロははずしユダヤ人も異邦人も同じように十字架に架けられ殺され、3日目によみがえらせたキリストを主として信じるならば救われると宣べ伝えていた為に、ユダヤ人の反感をかい、命を狙われ、裁判にかけられ、 捕らわれの身となっていました。
ユダヤ人は、神の選びの民であり、神の祝福を継承する優れた民族だという自負がありました。偶像に仕えて罪を犯し続けてきた異邦人たちと一緒にされたくない。そして、何より神が異邦人との交わりを禁じてきたではないかと反論したい思いがあったはずです。どうして急に異邦人を家族として迎え、共に生きることを求めるのか。納得いかない部分があったはずです。しかし、神が決められたことを造られた者である人間が拒否する権利はありません。親の権威が認められなければならないように神の権威はそれ以上に絶対です。子どもは、親に従うことが命じられているように神に従うことが求められるのです。そして、神は、子どもとされた私たちが互いに受け入れ合い、仕え合うことにより霊的に人格的に成長し大人になることを望んでおられます。
私たちは互いに受け入れ合っているでしょうか。キリストの奥義とは、ユダヤ人だけでなく異邦人もはじめから共に救いのご計画に入っていたという点です。私たちはだれが救いに選ばれているか分かりません。自分の好き嫌いではなく、誰に対しても救いの門は開かれていることを覚えたいと思います。自分が福音を届ける相手を決めるのではく、祈りつつ神様が出会わせてくださった人々に福音をお伝えする者になろうではありませんか。
キリス トがユダヤ人と異邦人の間にあった隔ての壁を打ち壊してくださったことを覚え、私たちも人に対する偏見を捨て、差別することをやめ、だれに対しても平等にお仕えし、キリストの愛を現す者になりたいと願います。何より主にある兄弟姉妹に対し主にある家族としてどう関わるべきか祈りつつ神様のみこころを求め、互いに愛し合う関係を構築する努力を続けてまいりましょう。