小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

キリストのからだである教会

「わたしは主である。」
              

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<キリストのからだである教会>      エペソ1:20~23

 今日の聖書箇所には、神の全能の力によって御子が死者の中からよみがえられたことが述べられています。そして、よみがえられた御子と教会の関係について教えられていきたいと思います。
 まず、覚えたいことはよみがえられたキリストが、天において神の右の座に着座され、すべてのものをご支配されておられるという事実です。次に、大切なことは、よみがえられた御子と私たちの関係です。パウロは、教会を一つのからだに譬え、そのからだのかしらがキリストであると言い、そのキリストの命令に従って私たちがそれぞれに与えられた賜物を活かし働き、教会の使命を果たすことができることを教えています。
 教会の使命とは、全世界に出て行き、福音を宣べ伝えることです。私たちがそれぞれ生活している場所が福音を宣べ伝える宣教地となります。私たちは、キリストから派遣された宣教師として、それぞれの家庭や職場や地域で福音を証することが期待されています。そして、パウロが教会をからだに譬えている意味をもう一度覚えましょう。私たちの体は、みな繋がっています。自分のからだの一部が怪我をした場合、その怪我の痛みは、からだ全体に及びます。同じように、同じ教会に所属する兄弟姉妹の誰か一人が肉体的に霊的に弱っているならば、無関心でいることはできません。ですから、互いに声を掛け合い、相手の肉体的、霊的な必要に関心をもち、とりなし祈ると共に自分にできることがあれば犠牲を惜しまずに行動する一人一人でありたいと願います。また、互いのために日々、祈る者になりたいと思うのです。互いに祈り合う者になるには、時間を共有することが必要です。折角、神様が同じ教会に属する者としてくださった者同士、互いの必要を覚え、祈り合う群れでありたいと思います。教会の祈祷課題を祈るだけでなく、共に集まり、祈る時間をもちましょう。祈りは、祈る者が一番祝福されるのです。なぜなら、祈っている間、その人は天の父なる神様と繋がり、祈りを取り次いでくださるイエス様と繋がり、みここを教えてくださる聖霊様と繋がることになるからです。そして、主の御名によって集まる教会に主は臨在してくださり、主の御名によって心を一つにして願い求める祈りに、主は必ず答えてくださるのです。マタイ18:18~20参照。
是非、主が共に居てくださる恵みに与る体験をこれからも共に味わい分かち合う主にあって一つからだとされた群れでありたいと願います。

 

教会の祈り

「わたしが、あなたとともにいる。
 これが、あなたのためのしるしである。
 このわたしがあなたを遣わすのだ。」
              

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<教会の祈り>      エペソ1:15~19

 エペソ人への手紙は、教会とは何かを私たちに教えている大切な書簡です。教会をギリシャ語でエクレーシアといいます。その意味は召し出された者です。では、教会が何を祈るかについてパウロの執り成しの祈りから学びます。
 キリスト者にとって一番必要なことは神をさらによく知ることです。17節参照。

その理由は、福音を聞いて受け入れた人々が霊的に成長するために必要なことが神をさらによく知ることだからです。福音を受け入れた後、その人の霊が成長するかしないかはどれだけ神をよく知ったかによってかわるからです。さらに、パウロが神を知るために必要な事として挙げたのが知恵と啓示の御霊を神からいただくことです。これも大切です。なぜなら、私たちは、自力で聖書に書かれてあることを理解できるわけではなく、御霊が私たちにみことばを理解できる力を与えてくださることによると聖書が言っているからです。Ⅰコリント2:11参照。同時に、心の目がはっきり見えるように祈ることも必要です。心は、単に感情の座を意味するだけでなく、知性と意志を含んだ全人格の座です。神が私たちの知性と感情と意志に働いてくださる時だけ、本当の意味でみことばが正しく理解できるようになり、素直に受け入れることが可能となります。

ですから、心の目が開かれるように絶えず祈り求める必要があるのです。
では、執り成しの祈りの内容に目を向けましょう。18~19参照。
内容は以下の3つです 。
1つ目、神の召しによって与えられる望みを知ること。
2つ目、聖徒の受け継ぐものが どのように栄光に富んだものかを知ること。
3つ目、神の全能の力の働きによって、私たち信じる者に働く神のすぐれた力
    がどのように偉大なものであるかを知ること。
1と2は 、過去と未来に関するものであり、3は、現在に深く関わる祈りです。
私たちは、神の全能の力の働きを日々、体験しているでしょうか。パウロはもうこれ以上宣教できないと諦めの境地に立たされることが度々ありました。しかし、その度にパウロは、神の全能の力の働きを体験し、立ち上がることができたのです。

使徒13:50.14:19.16:22~25.17:5、13.18:9~10参照。)

その体験は、パウロだけに限定されたものではありません。私たちも、祈り求めるならば 、パウロのように試練の中でも、賛美し、感謝し、執り成し祈ることのできる力を神からいただくことができるのです。
主によって召し出された群れ(教会)である私たちは、救いに選んでくださった神のことをさらによく知ることができるように、聖霊に心の目をはっきり見えるようにしてくださいと祈り求めてまいりましょう。

 

神の栄光がほめたたえられる理由

「主はすべてのわざわいからあなたを守り
 あなたはのたましいを守られる。」

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<神の栄光がほめたたえられる理由>      エペソ1:13~14

 人はどのようにして、神がご計画なさった救いを受け入れることができるのでしょうか。それは、真理のみことばをきき、その福音を信じることです。例外はありません。ユダヤ人であっても、異邦人であっても、区別なく、どちらも同じみことばにより、救いに与ることができるのです。
そして、パウロは、キリストを主と告白した者は、約束の聖霊によって、証印を押されていると教えています。この「証印を押す」という言葉には、封印をしてしまっておくという意味があります。
当時何かを人に送ろうとした場合、送り主から送り先に間違いなく届けられるために、贈り物の包みに封印が施されました。そうすることにより、贈り物を運んだ人が、その包みの中の物に手で触れた場合、そのことがすぐに分かります。
ですから、この証印を押されたという言葉は誰もその運ばれるものを損なうことができないように保護することを現しています。
 この言葉の意味から、私たちの救いの確かさは私たちが何かしたからということではなく、救ってくださった神様の側に救いの確かさがあることを知ることができるのです。神は御子の血によって贖われた私たちに聖霊を与えてくださり、誰も救われた者に触れることができないように保護してくださっています。これは実にありがたいことであり、これほど安心できることは他にありません。神が救われた者を誰も神から奪い返すことはできません。私たちはいつも自分の救いの確かさの根拠を神の側おくことができる幸いを覚えたいと思います。
 さらに、パウロはこの「聖霊」がキリスト者である私たちの御国を受け継ぐことの保証であると教えています。14節参照。この「保証」という言葉は売買の際に、契約履行の保証として、いくらか支払っておく「手付け金」という意味があります。ですから、私たちが福音を信じた時、手付け金として「聖霊」を与えられたことにより、後の日に約束された御国を手渡される「保証」も同時に手に入れたのだとパウロは教えているのです。
 神の人類をお救いになられるというご計画は綿密に計画された事であり、その計画の実行も神の御子による完全なものであり、さらに、神がお救いになった者の救いを聖霊なる神が保証してくださるというのですからこれほど確かな救いは他にありません。ですから、私たちがなすべきことは、私たちを救ってくださった神の御業をほめたたえ、全身全霊で神を礼拝することです。