小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

初代教会に学ぶ

「信仰は望んでいる事がらを保証し、
 目に見えないものを確信させるものです。」


                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain ヘブル11章1節

 

<初代教会に学ぶ>           使徒14:19~28

 戦後、日本は戦争の出来る国になる準備をはじめ、1978年11月27日にはガイドラインが決定されました。 ガイドラインとは、日本とアメリカの防衛協定のための指針です。ガイドラインの目的は、日本に対して武力で攻撃してくる国があ ったり、日本の周りで何か起こったりした楊合に、日本とアメリカが力を合わせ、効果的に、お互いを信頼して協力ができるように基礎を築くことでした。
日本は、戦争をしないと宣言しておきながら懲りることなく、戦争の出来る国になるための、準備を着々と進めてきました。 私たちは、この現実を真摯に受けとめて自分たちがなすべき責任を果たす者とならなければなりません。共謀罪が成立した今、私たちは自分たちの身近に迫害の手が迫りつつあることを知る必要があるのです。
では、私たちは迫害が身近に迫ったこの時期をどのように過ごしたらよいのでしょうか。 初代教会の歩みから学んでまいりましょう。パウロたちは、実際に自分たちが受けた迫害の記憶が鮮明なうちに宣教してきた町に戻ります。パウロたちは、自分の身の安全よりも福音を伝えた兄弟姉妹たちが迫害に合い信仰を捨ててしまうことを心配し、そのような事にならないようにと配慮していきます。パウロたちは、自分たちがどのような体験をしたかを報告することにより同じように信仰をもつ兄弟姉殊も迫害されることを前もって教えたのです。そして、パウロたちは、教会ごとに長老を選び、教会の核となり、人々を指導する立場の人を立て、教会に秩序をもたせ、 迫害に備えさせます。私たちも、ひとりでは迫害に打ち勝つことはできません。神様が導いてくださった教会に繋がり続け、共に集まり祈る群れになりたいと願います。自分は、日々、神様の御前に誠実に生きているだろうか。自問自答し、みこころに従って生きることを選択する者になりたいと願います。Iペテロ4:1~19 参照。 私たちは、弱い存在です。いつもイエス様に繋がり続けイエス様を通して神様から力をいただくことにより信仰を貫き通すことができるのです。ヨハネ15: 1~5参照。
私たちは自分を見るとき、悪の働きが盛んになりつつあるこの時代に自分に何ができるのだろうかと思うかも知れません。私たちは、小さく弱い存在ですが私たちが信頼しておられる神様は偉大なお方です。迫害から兄弟姉妹の信仰を守り通された主が共にいてくださることを信じましょう。終わりの日が近づいています。福音は、滅び行く人々に希望を与えるものです。死者の中からよみがえられた主が祈る私たちの真ん中にいてくださいます。死を恐れることなく、主を畏れ、主だけを礼拝する者に変えていただけるように祈り続けましょう。 

異邦人伝道

ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、
 全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」


                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 創世記6章9節

 

<異邦人伝道>           使途acts 14:8~18

 異邦人に伝道する際に必要となることは、彼らに創造主なる神様の存在を明らかにし、人間が罪人であり、堕落した存在であることを自覚させることです。パウロたちは、自分たちが神として群衆により祭り上げられようとした時、彼らに向かって創造主なる神様について教えたのです。11~18参照。異邦人は、世界を創造されたお方を神として礼拝する人々ではありません。異邦人は、創造主ではなく、創造主であられる神様がお造りになられた被造物を神として拝む人々です。日本人も、その意味でパウロたちを神として祭り上げようとした群衆と同じであると言えます。日本には、八百万の神々があり、なんでも神として崇められ祭られています。
ですから、日本人に福音を伝えるためには、創造主なる神様がどのようなお方であるのかを明らかにし、すべてのものが神様によって造られた存在であることを教える必要があるので弓す。なぜなら、福音の種が蒔かれる人々の心の土壌を改良するためには、進化論ではなく、創造論を教える必要があるからです。聖書の一番初めにはじめに神が天と地を創造したと記されているのもその為です。人間が生活している世界が創造主なるお方によってデザインされ、目的をもって造られた被造物であることを知ることが人間にとって存在の目的を自覚する意味で重要なものとなります。人間が偶然、存在するようになったものではなく、造り主なる神様の素晴らしさを現すために人間が目的をもって造られた存在であることを知る時、人間は本来の尊厳を回復していきます。自己肯定感の低い日本人にとって自分が目的をもって造られた存在であり全能なる神様の最高傑作であることを知ることほど重要なことはありません。いてもいなくてもどちらでもよいものではなく、私たち一人一人はかけがえのない存在であり、創造主の目から見るならば全世界を与えるほどに尊い存在であることを知る時、その喜びは計り知れないものがあります。神様は、無条件でご自分の造られた人間を愛し続け、救いの手を差し伸べ続けておられます。ヨハネ3:16参照 。

すでに神様は、2 0 0 O年以上も忍耐続け、まことの神様に立ち返るようにと福音を通して招き続けてくださっています。そして、異邦人伝道は、牧師や宣教師だけに限定された働きではなく、先に救われたすべての兄弟姉妹にも委ねられている尊い働きです。イエス様から与えられた異邦人伝道の使命に従って人々にまことの神様のことを伝えてまいりましょう。使徒13 : 4 7参照。

苦難の先にある栄光

「人々は主の御名によって
 祈ることを始めた。」
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 創世記4章26節

 

<苦難の先にある栄光>           使途acts 14:1~7

 パウロたちは、アンテオケからイコニオムに足を運ぴ、そこでも宣教し続けます。 イエス様が救い主であり、神の御子であることを旧約聖書から教えていったその結果、信じる者と信じない者が現れます。真理は、人々に選択を迫るのです。福音を拒んだ人々は、パウロたちに対し悪意を抱くようになります。イエス様の弟子たちを人々が憎んだように教会から派遣されたパウロたちも同じように福音を拒む人々から憎まれるようになったのです。それは今も同じです。私たちが本気でみことばに従って生きようとする時、そこに何かしらの戦いが生じていきます。キリスト者は、争いを好んでいるわけではありませんが真理を語り、真理に従って行動することにより真理に背く人々の姿を明らかにしていくことになるのです。ちょうどイエス様が現れたことにより、権力者の不正が明らかにされていったのと同じ状況が生じてきます。光は、闇のわざを明らかにする性質があるのです。闇は、いつも光を消し去ろうと躍起になります。しかし、闇は、光に打ち勝つことができません。

パウロたちは、福音を拒む人々がいることを承知のうえで大胆に福音を語り続けます。ユダヤ人の会堂を回り、信仰のみで救われるとユダヤ人と異邦人に向かって福音を語り続けます。そして、パウロたちは福音を受け入れた人々が信仰を堅く保つことができるように教理も教えたのです。信仰が単なる思い込みではなく、みことばによる確かな裏づけのあるものであり、イエス様の死と復活も旧約聖書から預言されてきた確かなものであることを教えます。人々は、自分たちが救われたことをみことばを通して確信し、罪の力から解放された喜びから、永遠のいのちに与る恵みを頂いたことを感謝して同じように救われる人々が起こされるようにと願い、福音を伝える人になったのです。私たちも、彼らと同じように福音を伝える者になることが期待されています。信仰故の苦難は、避けて通れません。イエス様が苦難の道を選ばれたように、弟子たちが苦難の道を選択したように、イエス様に従う者にも同じ選択が求められるのです。しかし、その選択は強いられたものではなく、自主的な選択です。イエス様から愛されていることを知った者は、喜んで信仰の故に苦しむ道を選択できるようになるのです。天においてイエス様から「良くやった忠実なしもべよ」とのお褒めの言葉をいただけるように地上における僅かな時を精一杯神様のために生きることで神様からいただいた命を使い尽くしたと言える最後を迎えられるように歩む者になりたいと願います。ヘブル12:1~2参照