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小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

立ち上がりなさい

「主を恐れることは知恵の初め、
 聖なる方を知ることは悟りである。」
                  
                                                          f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 箴言9章10節

 

<立ち上がりなさい>             使徒9:32~35

8年もの間、床についていたアイネヤという病人がいました。彼は、中風であり下半身が病に侵され、自力で立つことができない状態となっていました。アイネヤは、福音を聴いてイエス様を主ですと告白し、信仰者と変えられていましたが、自分の病の癒しを信じていなかったようです。長年病に侵され、自分の力で歩くことができない状態となっていた為、足の筋力も衰え、まさか自力で立つことができる日が来るなどと夢にも思わないほど悲観的になっていたのでしょう。
そんなアイネヤに転機がおとずれます。ペテロが各教会を巡回していることを聴いたからです。「ひょっとしたら自分の病が癒されるかも知れない」という希望が彼の心に芽生え始めます。しかし、神様は一方的に癒しを行なわれるお方ではなく癒しを本気で望んでいるかどうか。その人のうちにある信仰を試されます。ペテロは、アイネヤにチャレンジします。34節参照。
アイネヤは、ペテロの言葉に躊躇することなく、即座に従って行動したのです。自分にはできないことでも、イエス様には不可能なことはない。死者の中からよみがえられたイエス様の力により自分も立ち上がることができると信じてアイネヤは立ち上がります。神様は、私たちにも信仰を働かせて行動することを求めておられます。私たちは救われる以前、自分の経験ですべての事を判断して行動してきたばずです。そして、多くの失敗を重ね、互いに傷つけ合ってきた者です。神様は、その古い生き方をやめ、イエス様ならばどうされるかと聖書の中にキリスト者の生き方を見出して欲しいと望んでおられるのです。神様からののろいではなく、神様からの祝福をいただく道を選択する者になって欲しいと・・・

神様は、ご自分に従う者を千代まで祝福してくださると約束してくださるお方です。愛するひとり子であられるイエス様を十字架にかけてでも人類を救おうと考えられた神様がそれ以下のことをしてくださらないはずはありません。神様は、私たちに滅びから救われる道を備えてくださったお方です。罪の力からも解放し、神様に祈ることのできる特権を与え、神様からの祝福をいただくことができる者とされるのです。私たちは、その祝福をいただいているでしょうか。
神様からの祝福を受け取るために立ち上がりましょう。神様の恵みをいただく為の秘訣はへりくだりです。へりくだった心で謙遜な心で素直な心で礼拝に臨むならば、手ぶらで帰るようなことにはなりません。讃美の中にも神様の恵みが溢れています。祈りの中にも試練に対する答えがあります。愛する兄弟姉妹との会話からも神様の愛をいただくことができます。そして、みことばには私たちの霊の糧として必要なすべてのことが備えられているのです。
イエス様は、あなたの心も体も魂も完全に癒すことがおできになるお方です。イエス様に信頼し、イエス様の御名により立ち上がり、自分の意志でイエス様に従って生きる決断をしようではありませんか。

 

前進する教会

「私は、私を強くしてくださる方によって、
 どんなことでもできるのです。」
                                                          f:id:koumi2016:20160627201619j:plain ピリピ4章13節

 

<前進する教会>             使徒9:26~31

パウロは、ユダヤ教からキリスト教に改宗すると以前、迫害していたユダヤ人のところに行き和解を試みます。パウロは、勇気をもって自分に起こったことを正直に証し、キリスト者に対し自分のしてきた態度が間違っていたことを謝罪したはずです。神様は、心から罪を悔い改めた者を見捨てることなく、パウロに良き理解者をお与えになります。27 節参照。
バルナバは、勇気をもってパウロを自分の家に招き、彼からいろいろと話を聴い たことでしょう。そして、彼の回心が本物であることを確信し、パウロを使徒たちのところへ連れて行き、彼が自分の身に起こったことを証するチャンスを提供します。これは実に驚くべき行動です。慰めの子と呼ばれる穏健な人物であったバルナバだからこそ実行できた行動であったと言えるかも知れません。しかし、私たちも救われる以前、パウロと同じように神様に対して敵対して生きてきた者たちであることを思い出すならば教会の兄弟姉妹がサウロを無条件で受け入れ、愛し仲間として扱っていることとバルナバパウロにした行為が自分が受けてきた行為と重なるのです。私たちは、先に救われた妻や夫の信仰生活を邪魔してきたかも知れません。先に救われた兄や姉や弟や妹を迫害してきたかも知れません。しかし、どんなに迫害しても彼らはそれらの行為を赦し、救われるために祈り 続け、救われた暁には救われたことを誰よりも喜んだはずです。教会にはいろいろな人が神様の導きにより集められ、共に一つの家族とされ、共に祈り合い、助け合うようにと求められるところです。エルサレムの教会の兄弟姉妹は、バルナバの執り成しを通して、パ ウロを受け入れ、仲間として迎えていきます。これも実に驚くべき行動です。信仰がなければ受け入れることのできない事柄です。イエス様の命令に彼らは従ったのです。汝の敵を愛せよとのご命令に従う決断を選択していったからです。
パウロは、自分のしてきたことを心から赦し、仲間として迎えてくれたバルナバエルサレムの兄弟姉妹に心から感謝 し、バルナバを備えてくださった神様に感謝したはずです。パウロは、受けた恵みに対し、精一杯の応答を自分が体験したことを人々に証し、イエス様こそ旧約聖書が預言したところの救い主であられることを大胆に語る者となります。ここにも救われた者の姿を見ることができます。自分に起こった素晴らしい奇蹟のわざを体験した人は、その喜びを伝えなければいられません。私たちも神様が自分にしてくださったことを人々に語り続けるためにも自分が受けた恵みの大きさを再確認し、救いの喜びを絶えず持ち続けられるように務め励む者でありたいと願います。教会に救われた喜びが満ちる時、福音宣教の業は前進していくのです。神様は、ご自分の救われた民に平安を与え、主を畏れる思いを与え、聖霊を豊かに注いでくださいます。聖霊の力をいただいて大胆に主を証する者に変えていただけるように祈り求めてまいりましょう。

 

神の力による宣教

「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」
                                                         f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 士師6章12節

 

<神の力による宣教>             使徒9:20~25

サウロは、イエス様と出会い、霊的に新しくされる体験をしました。彼は、自分の誤りに気づくとすぐに生き方を改めます。サウロは、確かにイエス様と出会い、自分のしてきたことが間違っていたことを素直に認め、正しいことを実行することを選択するのです。では、サウロはどのようにして福音を宣教していったのでしょうか。それはイエス様がなされていたやり方でした。
イエス様は、旧約聖書を引用され、旧約の預言が今成就したと宣言されました。同じように、サウロも旧約聖書で預言されてきたところのメシヤがイエ ス様であることを証明しユダヤ人たちをうろたえさせます。ユダヤ人は、サウロの説教を通してイエス様が自分たちのずっと待ち続けてきたところのメシヤであることを頭で理解することができたことでしょう。なぜなら、彼らは旧約聖書に親しんできたからです。しかし、その結果、ユダヤ人の反感をサウロはかうことになり、命を狙われることになるのです。イエス様が当時の人々から拒絶されたように、サウロもまた人々から同胞のユダヤ人から憎まれることになります。ユダヤ人は、サウロと論争しても勝てる見込みがないと悟ると暴力によりサウロの口を封じる態度にでます。いつの時代でもそうですが福音を聴いて受け入れる人もいれば拒絶する人もいます。サウロは、同胞のユダヤ人に豊かな聖書知識を用いて彼らに受け入れやすい言葉で福音を語ることもできたでしょう。しかし、サ
ウロはあえて単純なメッセージを語ることに徹しています。その理由をサウロは、コリン ト人への手紙の中で次のように述べています。Ⅰコリント1:18~29参照。

十字架にかけられたイエス様を神の御子であると信じることは、人間の力でできることではありません。できるとすればそれは神の力によるものです。なぜなら、全宇宙を全世界を創造された神様が造られた人間の手にかかり殺されるなどということは到底信じがたい愚かなことに思われます。彼らの神観は、神は偉大な存在であり、人間にどうにかされるようなお方ではないと考えているからです。サウロも、イエスという男は、自称神の子を名乗り、多くの人々をたぶらかし、神の国が近づいたと罪を悔い改めるようにと説いていたが彼は、 神を冒涜する者として裁かれ、十字架に架けられて死んだのだと考えていたはずです。そんなサウロを神様は、異邦人に福音を伝える器として選ばれ、彼を強制的に救われます。復活されたイエス様が直接、サウロのもとに行き、彼の間違いを指摘し、正しい道に導かれたのです。私たちは、サウロのような劇的な変化を経験したわけではありませんが、神様から選ばれ、救っていただいたという点に関してサウロと共通しています。そして、救いに与ると、その人は救われる以前の罪の生活を捨てることができるようになるのです。

サウロは、神の力に期待して力強く福音を宣教して行きます。私たちもサウロを変えた神の力に期待して勇気をもって大胆に宣教する者になっていきたいと願います。